こんにちは、ヒャッキヤコウです。
今回は『共感性羞恥』というものについて話してみたいと思います。
私はいわゆるコレに当てはまる人でして、子供のころから感じていたこの感覚に名称があることが分かってスッキリしました。
皆さんも何人かは当てはまる人がいるのではないでしょうか?
分からない人にも『共感性羞恥』がどいういう感覚なのかちょっとご紹介してみますね。
共感性羞恥とは
共感性羞恥はempathic embarrassmentという言葉の語訳で、海外では結構研究が進んでいるみたいです。
あくまで直訳らしいので、この名称が絶対的に正しいかは微妙らしいですが・・・。
共感性羞恥がどういうことか、簡潔に言うと『他人が恥をかいてしまうシーンに共感して、あたかも自分が恥をかいたかのように感じる』ことです。
アニメとかドラマを見ていると、演出で主人公やヒロインなどが露骨に恥をかいちゃうシーンがあるじゃないですか。
ああいうシーンを見るとたまらなく自分も恥ずかしくなってしまって、チャンネルを変えたり、その場面スキップしたくなるんですよね。
「うわあああ、見てられない!」って感覚です。
テレビが言うには10人に1人くらいの感覚らしいです。絶対もっと居ると思うんですけどね。
人によって感覚に個人差があるらしく、私はアニメとかドラマに特に強く感じます。
海外ドラマとかの冴えないキャラが主人公だったりすると漏れなく共感性羞恥が出る予感がしてきますね。
絶対にイジられたり、失敗するシーンがあるのが目に見えてますし。
「あ、これは恥をかきますわ(確信)」ってなったら漏れなくそのシーンはスキップです。
でも、私はドキュメンタリーとかはそんなに共感性羞恥を感じないんですよね、『作られた演出』っぽさが比較的薄いからかもしれません。
共感性羞恥で子供のころは大変苦労した
子供のころからこういう感覚を持っていたので、ドラマとかが本当に苦痛でしたね。
大人になった今ほど客観的に物事を見ることが出来ないから当然ですよね。
友達同士の会話についていきたいがためにドラマを見ていた時期がありましたが、恥をかいたり、失敗するシーンとかは『よくこういうの見ていられるな』って思ってました。
でも友達のみんなはそういった感覚がなかったようで、子供のときは『私だけおかしいのか・・・?』ってちょっと悩んだりしました。
なので高校を卒業するくらいまで、最初から最後までキッチリ見たドラマは片手で数えられるレベルです。
大学生くらいになってやっと少し克服した
大学に入ったくらいでこの共感性羞恥が少しマシになってきました。
大学で出来た友達にこの感覚を打ち明けて共感をしてもらったのと、私自身が演劇で役者をするようになったからだと思ってます。
あと思春期を脱してきて、物事を客観的に見ることができるようになってきたのもあるかもしれません。
『お芝居はお芝居』『あくまで演出』っていう考え方ができるようになりました。
未だに好き好んでそういうシーンを見ることはしませんが。
共感性羞恥が自分だけの感覚ではないことにスッキリした&自分が試した克服方法
大学時代の友人や、数年前にやったテレビでこの共感性羞恥の話が出たときにスッキリしました。
別に悩む必要性はなく、少数派でも自分と同じような感覚を持っている人がいるっていうことに安心したんですね。
だからこれを読んでいる同じ共感性羞恥を持っている人が居たら安心してください。(笑)
ちょっとだけですが、私が昔に共感性羞恥を克服しようとしてやったことを書いておきます。
- とにかくそういうシーンを見まくって慣れる
- 作品を作り手側から見るようにしてみる
- 誰かと一緒に見る
見まくるという行為は結構苦痛でした。
克服以前に気持ちの整理がつきにくくなりますね。(笑)
作り手側から見てみるのは演劇をしていたこともあって一定の成果があったように思います。
誰かと一緒に見るのは、必要以上に感情移入をしてしまうのを防ぐ為です。
共感性羞恥の友達の話を聞いてみても、共感性羞恥の人は普通の人以上に物語の登場人物を自分と置き換える感覚があるみたいです。
これは一定の成果がありました。
もし悩んでいる方が居れば試してみてください。
以上、共感性羞恥のお話でした。
もし同じ克服した方がいらしたら連絡ください。
ではでは。
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